新年を前に、上越市高田地区などの和菓子店の店頭に、年始用の白い羊羹「寿羊羹(ことぶきようかん)」が並び始めた。少なくとも100年以上続く風習だが、30~35年前をピークに徐々にすたれ、今では60歳より若い人はほとんど知らない。川渡餅(11月30日と12月1日に販売)が定着しているのと対照的だ。
「寿羊羹」は白インゲンの一種、手亡豆(てぼうまめ)を使った本練り羊羹で、竹皮に包んである。年始用の袋に入れて売られており、そのまま使えるのが便利だ。
高田の和菓子店のほとんどが12月下旬から店頭に並べ、1月末ごろまで販売する。
上越市仲町1の「相川菓子店」には、明治の末期に作られたという大きな看板が残されている。戦中の疎開で散逸したが、後に市内で発見されたものだという。これで、少なくとも100年以上続く風習だということが分かった。
上越市西城町3の「笹川菓子店」の笹川静夫さん(76)は「昔は甘味が貴重だったため、もらった人が次の家に回し、それが回りまわって自分のところに戻ってきたという笑い話があります。冬の間、家々を回っているうちに羊羹の表面が乾いて、糖化して白くなったものを懐かしがる年配の人もいます。しょうゆをかけて、おかず代わりに食べたという話も聞いたことがあります」と話す。
本町3の「大杉屋惣兵衛 お馬出し店」では、12月20日から店頭に並べ、来年1月末まで販売するという。由来については分からないものの、「おせちのお重の三段目には羊羹が入るなど、新しい年を迎えるにあたり、羹(あつもの)が用いられるのは、おめでたく、また、特別なものでもあるのでしょう」という。
日持ちがするので、早めに買っておけるほか、値段も手ごろ。白い羊羹は珍しいので、県外の人にも喜ばれそうだ。
正月の縁起菓子と言えば、金沢では「福梅」という紅白の梅形の最中が有名。同じ城下町である高田の「寿羊羹」の風習も、後世に残ってほしいものだ。
昔を思い出す内容に、始めてコメントさせていただきます。
寿羊羹にこのような歴史が有ったとは驚きです。
子供の頃、羊羹をもらっても必ず親がどこかに回す。本文にも有ったように、これは当たり前でした。
そして、子供の口に入る頃にはこれまた、本文にあるように「羊羹の表面が乾いて、糖化して白くなったもの」を食べさせてもらう。
正直な話ですが、私は羊羹の切り口は砂糖で固まっているものと信じていました。
普通に羊羹を食べれるようになっても、大杉屋の「春日山・第一義」を食ても、なぜか羊羹の堅くなった部分が懐かしく思ったものです。
糖化するのは寿羊羹の特徴でしょうか。